§2 汚されるということ
梓から『千鶴さんが変だ』という電話をもらい、再び柏木家に出向いた折の事
だった。
『ねえ、初音ちゃ〜ん』
鶴来屋の事務所でのこと。
『また手作りのお菓子差し入れに来てよ〜』
初音ちゃんに群がる従業員たち。
『初音! ほら、急ぐよ!』
『あ、うん。じゃあ、今度、いろいろと作ってきますね』
『楽しみにしてるからね〜』
………それだけだった。
本当に、たったそれだけのことだった。
何気ない世間話ていどの会話。
彼女の性格を考えれば十分理解できる、日ごろ姉がお世話になっている会社の
人たちに対する――いかにも彼女らしい、やさしい思いやり。
だが、俺は少しばかりムカッとするものを感じた。なんの遠慮もなく、差し入
れをねだってくる彼らに、なんともいえず嫌気がさした。
そして………
『いろいろと作ってきますね』
その言葉がなぜか…胸を打った。
もっともその時は、そんなことは気にもしていなかった。
あの夜はバケモノにのっとられた千鶴さんを助けるのが第一であったし、その
あともそのあとで、いろいろな人たちに会い、闘いに次ぐ闘いであったので、
そんなことがあったことすら忘れてしまっていた。
しかし、あの騒ぎが終わり、誰もいない六畳一間の我が家に帰ってきた時、ふ
いにそのことが思い出されたのだ。
最初は『そんなこともあったな』という素朴な感想であり、次は『やっぱり初
音ちゃんは人気があるんだな』という少し嬉しくなるような気持ちであり、三
つ目が『ま、しょーがないな』という感情であった。
……………………。
………しょーがない?
……なにが『しょーがない』なんだ?
まざまざと思い浮かばれるその光景。
『ねえ、初音ちゃ〜ん』
『あ、はい。じゃあ、今度また』
『前のアップルパイ、おいしかったなー』
『僕、今度はケーキがいいなぁ…』
『だったらおれ、クッキー!』
『オレは、ドーナツが』
『じゃあ、今度、いろいろと作ってきますね』
彼らの下卑た笑い顔。
なぜ彼女がそんなことをする必要があるんだ?
どうしてあいつらのためにそんなことをしなければならないんだ?
なにか……納得できないものを感じた。