§3 恋しいということ
俺と初音ちゃんは、一年前のあの夏、初めて結ばれた。
それは、とても普通の恋人たちが望むような形のものではなかったが、それで
も俺と初音ちゃんは、深く、愛し合った。
それから後、ヨークの襲来をきっかけに、俺は鬼の力に目覚め、……そして制
御した。
何もかもは初音ちゃんがいてくれたからであって、彼女がいなければ、俺は今
ごろ『俺』ではなかったであろう。
その後『飛来者』の皆様方には丁重にお帰り頂き、俺たちは無事平穏な日常を
取り戻した。
そして当然のごとく、俺は自分の住む町に戻り、初音ちゃんは柏木家に残った
わけなのだが……。
「……初音ちゃん……」
まさか自分がこんな状態になろうとは思いにも寄らなかった。
遠距離恋愛なんて人様のことだと、オレと初音ちゃんとの間にはなんら関係の
ないことだと、タカをくくっていたのに……。
『じゃあ、今度、いろいろと作ってきますね』
それは純粋な好意からでた言葉。
あるいはその場を紛らわすための言葉。
なのに俺には、俺以外の『誰か』に対するように聞えた。いや、もっと厳密に
言うのならば、その『誰か』が存在してもおかしくはないという可能性を、俺
に知らしめたのだ。
俺の知らないところで進んでいく彼女の時間……。
「……………………」
馬鹿馬鹿しいと自分でも思った。
初音ちゃんに限ってそれはないと言い切れるだけの自信もあった。
……だが……しかし。
俺には聞えてしまったのだ。
『それならナゼ、彼女はお前のとなりにいない?』
ドクンッ
誰もいない部屋。六畳一間のその部屋の隅の闇から、その声は聞えてきた。
まさかまた奴らか!? と思ったが違う。
これは俺の心の声。すべてを理解し、世間というものをわかっている部分では
なく、何もわかっていない部分。
ただ欲望のみに突き動かされる部分。
無意味に流れる時間。
その、どうでもいいようでいて、深く食い込んで俺を放さない声。
何も手につかない日々が幾日も続く。
そいつは俺が大学に行っている間や友人と話している間には決して聞えてこな
い。
ただ、俺がアパートに帰り、ドアを開け、玄関の中に入り、後ろで開けたドア
が自然に パタンッ と閉まった瞬間に聞えてくるのだ。
――目の前の闇の中から――
――誰もいない部屋の奥から――
――『おかえりなさーい』の代わりに……。
カチャ
だから俺は受話器を取った。
ピッ……ポッ……パッ……
慣れてない手付きで番号をプッシュする。
パッ……ポッ ………プルルルル、プルルルル
彼女の声を聴けば、少しは気持ちが落ち着くだろう――そう、思って……。
プルルルル、プルルルル、――カチャッ
「……はい、もしもし、柏木ですが……」
だが俺の暗い衝動は静まるどころか、よりいっそう深く、心の底で蠢くことと
なったのである。