§6 信じるということ
…………………ル…
………プルルルル…
……プルルルル……
…プルルルル………
………電話?………。
プルルルル
………へたに希望を持たせるだけ、残酷なんだよな…………。
プルルルル
どうせ連絡がとれないんなら、始めからとる手段なんてなきゃいいんだ。
プルルルル
そうすれば……こんな思いをしなくてもすんだのに……。
プルルルル
たまの休みに柏木家にいくだけなら………そうすれば必ず彼女に会える……。
プルルルル
それだけでよかったのに………。
プルルルル
……うるさいなあ…………。
プルルルル
……はやく切れちまえよ……。
プルルルル
……しつこいなあ……いったいだれが…っ!?
プルルルル
――初音ちゃん!?――
プルルル…
がばっ!
ガチャッ!
「はい! もしもし! 柏木ですっ!」
俺は布団の中から飛び起きて、受話器をとった。
「…………あ、耕一お兄ちゃん?」
その声を聴いた瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。
それは俺がなによりも待ち望んでいた声。
俺がなによりも求めて止まなかった声。
――初音ちゃんの声が聞こえる。
――電話の向こう側に初音ちゃんがいる。
その事実が俺から思考力というものを完全に奪い去っていた。
「ぁ……あっ……あっ……」
言葉が出ない。
何か言わなくちゃいけないのに…。
訊きたいことがたくさんあったのに…。
どうして毎日あんなに遅いのか?
どうして今まで一回も電話をくれなかったのか?
みんなに黙ってまで一体何をやっているか?
送ってくる若い男は誰なのか?
本当に、たくさんあったのに……。
「……耕一お兄ちゃん……だよね?」
この声が聴けるのならば、もう、どうだって良いっ!
「………は、はつね…ちゃん………?」
俺は声を震わせながらも、かみしめるように、その名を口にした。
そうできることが、たまらなく嬉しかった。
「うん。……ごめんね、こんな遅くになっちゃって……。……お電話…毎日し
てくれたのに……一度も……お返事できなくて…本当に、ごめんなさい……」
いいんだ。……もう、そんなことは、どうでもいいんだ。こうして君の声が聞
けたんだから……こうして君と話ができるんだから……もう、いいんだ…。
「……お兄ちゃん…やっぱり、怒っているよね」
何も言えない俺の態度を勘違いしたのか、初音ちゃんは本当にすまなそうな声
でそう謝ってきた。
「……っ……ちっ、ちがうよっ! 怒ってなんかいないよ! ただ、俺………
初音ちゃんの声が聞けたのが、嬉しくって……つい、言葉に詰まっちゃったん
だ……」
なんとか声を絞り出す。……でないと、また初音ちゃんが俺の手の届かない、
どこか遠くに行ってしまいそうな気がしたから。
「えっ……わたしの…声が?」
「うん。そう……でも、こうして電話してきてくれたんだから、初音ちゃんは
もう謝る必要なんて無いんだよ」
だが、彼女は俺の言葉には従わず、また悲しそうな声で謝ってきた。
「……ごめんね……わたし…お兄ちゃんに、いっぱい…いっぱい…心配かけち
ゃってたんだね………ごめんなさい……」
最後にもう一度、ぽつりと発せられた謝罪の言葉。電話の向こうで初音ちゃん
が泣いているであろうことが、すぐに見て取れた。
俺は彼女を安心させようと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「いいんだよ。俺が勝手に変な気を回して電話してただけなんだから。初音ち
ゃんは何も悪くないんだよ……」
「……おにいちゃん……ありがとう……」
涙まじりの初音ちゃんの声。それさえ、今の俺には心地よく感じる。
「うん。……じゃあ、初音ちゃん。もう遅いだろうから、切るよ…」
もちろん本心を言えば切りたくなどなかったが、初音ちゃんも疲れているだろ
うし、これ以上、彼女の声を聴いていたら、言ってはならない言葉までも、吐
露してしまいそうだった。
「あ、まって、耕一お兄ちゃん」
その時、初音ちゃんが制止の言葉をかけた。
「なに、初音ちゃん?」
ききかえす俺。
「あ、あのね……わたしね……」
「うん……」
口調が吃る。
初音ちゃんが何か大切なことを言おうとしている。
もしかしたらそれは、俺をこの杞憂の苦しみから救ってくれるものかもしれな
い。
しかし逆に、俺を絶望のどん底にたたき落とすものかもしれない。
それでも、俺は彼女の口から発せられるその言葉を、是が非でも聴きたいと思
った。
しかし――。
「あ、…ごめん……やっぱり、今度会ったときにする……」
初音ちゃんから出たのは、結局、それだった。
「そ、そう? ……わかった、それじゃあ、また今度…ね」
何が言いたかったのだろう、彼女は?
そう思いながらも、俺が『おやすみ』と言おうとしたとき、脳裏をよぎるもの
があった。そして次の瞬間、俺は叫んでいた。
「は、初音ちゃんっ!!」
「きゃっ、……な、なに? 耕一お兄ちゃん…」
いきなりの俺の大声に、初音ちゃんはかなりびっくりした様子だったが、そん
な事にはかまってられなかった。
「あのさ、俺っ!」
「う、うん」
「おれ……」
「………お兄ちゃん?」
「……………」
「……………」
「……ごめん。俺も…また今度にしとくよ……」
「……耕一お兄ちゃん…」
「じゃ」
「うん…」
ガチャン
……………………………………。
………言えなかった………。
……言おうと思っていたのに……。
『俺、初音ちゃんのこと、どんなことがあっても信じているから』
言ってあげたかったのにっ!
……言えるわけないよなぁ。
今の俺が言ったって、それはうわべだけのものでしかない。
……いう資格なんてないんだ。
俺は初音ちゃんを愛している。
それはあの夏の日以来、確かに言えるようになった言葉。
だが、これは本当に『愛』といえるのであろうか?
愛しているはずなのに、隣にいない彼女。
ただそれだけで、俺の心は狂おしいほどの絶望感にさいなまれる。
なぜ?
別に彼女が死んでしまったわけではないんだぞ?
ただ、あえないだけ……。
彼女の想いを信じてやれない俺。
彼女のやさしさを疑る俺。
『あの娘を一人占めにしたいんだろう?』
闇が応える。
『独占したいんだろう?』
俺の心のうちにひそむ闇。
『だからお前の心は狂うんだろう?』
……狂う……? 俺は狂っているのか?
『そうさ。恋をするとは狂うことなのさ』
そう…なのか…?
『狂おしいほどに、相手を欲することなのさ……』
「ちがう!!」
カッ、と目を開く。
つけっぱなしの電気。
闇は…何処にもない。
「……俺は…ただ……不安だっただけだ…」
――同じことさ――
「…………………」
ばふっ
ねよう。
少なくとも、今日は彼女の声が聞けたじゃないか。
それだけで、じゅうぶんさ………