written by べるがぁ |
「初音ちゃん!今度はあれに乗ろうよ」 耕一お兄ちゃんが大きな白い蒸気船を指さして笑顔で、そう私に問いかけて 来る。 私がジェットコースターが苦手と知っているのか、耕一お兄ちゃんは遊園地 に遊びに来てから一度も激しい乗り物に誘うとはしない。 「うん!」 私も自然と心からの笑顔で返事をする。 それを合図に、耕一お兄ちゃんは私の手を取って走り出した。 もちろん、私を気遣って歩調の小さい小走りだ。 いつも優しいお兄ちゃん。 どんな時でも私を気遣ってくれるお兄ちゃん。 私はそんな耕一お兄ちゃんが大好き。 二人の時間が、このままずーっとずっと続けばいいな。 それだけが私の願い。 それ以外は何もいらないから… 4階建ての蒸気船の最上階甲板に耕一お兄ちゃんと私は身を置き、共に摺に 寄りかかりながら河向こうの風景を眺めていた。 アメリカの西部時代を催した河岸の風景を私は指差しがなら耕一お兄ちゃん に語り掛け、お兄ちゃんは笑顔でそれに返事をする。 そのやり取り一つ一つが私の心を暖かくする。 そして、耕一お兄ちゃんが恥ずかしそうに、そっと私の肩に手を乗せる。 暖かい手。 セータの肩越しからでも、その暖かさを充分に感じた。 私も耕一お兄ちゃんの手に自分の手を添える。 私の心を暖かい春風がそっと凪いでゆく。 これが幸福なんだなと私はまどろみながらそう思った。 そして、お兄ちゃんはその手に力を込めて、そのまま私を…… 突き落した。 突如、浮遊感に襲われ、上下感覚が狂う。 私の視界に緑色に覆われた水面が迫ってくる。 恐怖に意識が研ぎ澄まされているのか、スローモーションで水面が迫って来 る。でも、私にはどうすることも出来ない。このまま重力に引っ張られ、運命 の行く先を待つだけ。 しかし、私は迫り来る水面に恐怖を感じてはいたが、何故落ちているのかと いう疑問には冷静だった。 そう、耕一お兄ちゃんが突き落としたのだ。 なぜ? 私を愛していないから。 別の異性を愛しているから。 二つの思考が交互に私の頭を駆け巡りながら徐々に融合していき、最後に私 には到底受け入れることが出来ない言葉が脳裏を過ぎる。 そして…幾ばくかの浮揚感のあと、私の頭が水面に触れたと同時に、私の心 の奥底に存在する願望という名の映画館での滑稽な恋愛映画が終わりを告げた。 § 夢。 夢をみていた。 とても幸せで、そしてとても悲しい夢。 手と額に、かなり汗ばんだ感覚を感じている。 気が付けば全身がびっしょりと汗をかいていた。 背中にも何か粘つくものを感じる。 私は汗も拭わず視線を暗闇の空間に漂わした。 霞に覆われて朧げだった夢と現実の境界線が、時が経つにつれ、霞が晴れ渡 り、徐々に明確になってゆくのを実感する。 私は突如、胸に込み上げるものを押さえ切れず、汗も拭わずに膝を抱え、両 膝に顔を埋めて鳴咽した。 そうだ、耕一お兄ちゃんは私では無く、お姉ちゃんを選んだんだ。 最初の頃はそのことを祝福できた…いえ、そう思っていた。 でもそれから闇夜の到来が繰り返される度に徐々に私の心の領域に踏み込ん で来るものがあった。 嫉妬と絶望。 そして、二つの感情を操るお兄ちゃんへの断ち切れぬ情愛。 それらが私を苦しめる。 悲しみに包まれた現在と、幸福に満ち溢れた自分の思い描く世界。 その落差に言い知れぬ絶望感に苛まされる。 毎夜繰り返される絶望の苦しみ。 止め処も無く私は泣き続けた。 泣かなければ自分の心が崩れてしまう。 自分の存在があやふやになってしまう。 …ううん、本当は違う。 本当はこのまま崩れさってしまえばと思っている。 無意識の自己防衛本能。 それが私を泣かせているに過ぎない。 心が崩れてしまえば、どれほど楽なことなのか。 何もかも全てを忘れることができる。 そして、私は気づいていた。狂気の扉の向こう側の楽園の存在を。 つらい気持ち、悲しい気持ちに無縁の、自分の世界が広がる楽園。 踏み込めば二度と後戻りは出来ない、限りなく魅力的な魅惑の楽園。 でも、その楽園に足を踏み入れることに私は躊躇している。 理由は色々あった。 柏木家の外聞。周囲の自分自身への好奇の目。言い知れぬ不安。今までの人 間としての束縛。 しかし、本当の理由は愛しい男(ひと)に会えなくなるということ。 ………… ふふふ… 私は矛盾に気づいて、微かに笑った。 なにを言っているんだろう? その男を好きだから、ずっと一緒にいたいから、こんなに苦しんでいるのに… ふと気づくと、暗闇の中、カーテンの隙間から漏れる一筋の薄い月光が私の 顔を照らしていた。 外をみると光一つ無い暗闇の世界で一生懸命に自分の存在を主張するかのよ うに淡い光を放つ満月が山々を照らしていた。 決して自分では輝くことのない月。そこに私は一人の女性の影をみた。 あなたもこんなにつらい気持ちだったの? それほどまでに彼を愛していたの? 時々、私の夢の中にでてくる彼女。 私であって、私ではない女。 愛した男と一緒になれたが結局はその男に一度も振り向かれなかった悲しい 女性。 「歴史は繰り返すのかな……」 自嘲気味につぶやく。 前世の彼女の気持ちが、現世での次郎衛門−耕一お兄ちゃんに対する私の恋 慕を形作っているのではないか…そう思えればどんなに楽だったか。 そのことに全ての理由を押し付けて、この悲しみから逃げる事ができた。 でも、そうじゃない。 私は…前世の彼女では無い柏木初音は、次郎衛門では無い柏木耕一のことが たまらなく好き。 その想いだけは誰にも否定させたくない。 そして、その自覚が私をさらに苦しませる。 叶うことのない儚い想い。 「もう…いやだ…」 でも、どうすることも出来なかった。 この世界から離れられず、現実を直視することもできない。 また、そこから逃げる勇気さえもない私。 なら、取れる方法は一つだけだ。 死。 それが唯一、全てを解決…いや、全てから開放される絶望という名のパンド ラの箱の中から私が見つけた答えだった。例え、それが間違った答えだったと しても… 気が付けば、私は水門の上に立っていた。 夜風が私を撫でゆくたびに、その冷たさに身体に痛みが走った。 もう冬の季節。 白い冬の妖精が飛び回り、水面には氷が張られていた。 このまま飛び込めば数分でこの世界から消えることが出来るだろう。 次の私に想いを託して。 「次、生まれかわるときは必ず一緒になろうね。」 他人から見れば滑稽かも知れない台詞。 でも、そう願わずにはいられない私。 想いを遂げられるまで私は同じ事を繰り返すのかもしれない。 そして、徐々に力を抜いてゆき、身体を水面へ傾けた。 数秒の浮揚感のあと、どこか遠くの方から水面が跳ねる音が聞こえた。 ………… 暖かい温もりを感じ、私は目を覚ました。 包み込むように耕一お兄ちゃんが私を抱いていた。 視線を周囲に巡らす。 そこは白い大きな蒸気船のベンチの上だった。 「初音ちゃん、大丈夫?何か、うなされていたようだけど……」 耕一お兄ちゃんは心配そうな表情で、覗き込むように私の顔を見つめていた。 「………」 まだ寝起きで頭の回転が鈍っていることもあったけど、それ以上に感情が不 安定で、私は言葉を紡ぎ出す事ができなかった。 そして…代わりに溢れてきたものは涙。 「わわわ!初音ちゃん、本当に大丈夫!?どこか痛いの!?」 私が泣いていることに慌てふためく耕一お兄ちゃん。 大丈夫?と何度も私に問い掛けてくる。 少しの間、私の事を心配してくれる優しい耕一お兄ちゃんを見ていると、だ んだんと安心感が私の心の中に広がっていき、私は徐々に心の安定を取り戻し ていった。 「ううん…大丈夫。驚かしちゃってごめんね、お兄ちゃん。」 私は耕一お兄ちゃんを落ち着かせるために、そう言ったけど、耕一お兄ちゃ んはそれでも、何度も私の安否を気遣ってくれる。 もし、耕一お兄ちゃんが別の人を好きになっていたら、たぶんあの夢と同じ になっていたのかも知れない。 …ううん、きっとそうだろう。 やっぱり私はどうしようもなく耕一お兄ちゃんの事が大好きなんだ。 そして、彼女もまた次郎衛門がたまらなく大好きだった。 多分、あの夢は前世の彼女が私に伝えたかった想いだったのかも知れない。 決して一人では受容できず、支えきれない悲しい想い。 それを共有して欲しかったのかもしれない。 でも、何百年の時を越えて、今ようやくその想いから開放された。 私は心からもう一人の自分を祝福した。 本当に良かったね。 これから一緒に幸せになろうね、リネット。 それから耕一お兄ちゃんと私は蒸気船が再び桟橋につくまでベンチの上で、 肩を寄せ合いながらノスタルチックな河岸の風景を堪能した。 そして、桟橋へ着いた蒸気船から降りようとした時、 …ありがとう 「え?」 後ろの方から微かに、そう聞こえたような気がした。 振り返ると夕焼けを浴びて東の空に淡く紅葉色の満月が顔をだしていた。 その満月は、夢の中でも見たこともないリネットの笑顔をどこか私に連想 させた。 私はその月に向かって微笑んだ。 〜終劇〜
BGM :Piano Sonata No.14 In C Sharp Minor,Op.27 No.2 [Moonlight -the first a movement-] −Beethoven− Type Classic あとがき(言い訳) 稚劣な文章を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。 えーとですね……御免なさい。 色々と目指した(試した)ものを考えると内容が極端に低いです。 舌足らず(?)なのか文章テンポも速いです。 やはり文才が無いとツライですね。(しみじみ…) § で、内容のほうですが、どろっとしたものが書きたかったんです(^^; 初音ちゃんファンの方々申し訳ありません。 出だしは、 「初音ちゃんの性格って理想的だけど疲れそうだな。」 というのが原点でした。 やっぱ人間、少しはダークな部分があっても良いんじゃないかと。 まあ、無才なので結局その原点もどこへやら(苦笑) § もっと精進していきますので、これからもSSを読んで貰えれば嬉 しいです。 感想も一言だけでも良いので是非お願い致します。m(__)m べるがぁ拝 私には徐々に膨れるそれらの感情を断ち切ることは出来なかった。 限りなく魅力的に思える魅惑の楽園。
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