Story1..Serio(type HM-13e) side
ご主人様に辛く当たられても、あまり悲しくはありません。
感情が無いから?
…いいえ、私くしには苦しみを分かち合う分身がいるからです。
いらっしゃいませ、「三角波」へようこそ。ただいまマスターは留守にして
おりますので、代りまして私くしセリオがご用を仰せつかります。マルチさん、
カウンターにお水とおしぼりをお願いね。
ええ、店員は現在この二人だけですが。日本ではそろそろこういう店も珍し
くなくなった様です。失礼ながらお客様は異国の方とお見うけしますが、お国
の言葉でお話しした方がよろしいでしょうか?…承知しました。そうですね、
では早口にならないように留意いたします。
ブレンドとモーニングセットにツナサンドですね?かしこまりました、4分
少々お待ちください。
お客様はやはり来栖川の研究所に?…ふふっ、それ位は察しが付きますわ。
重そうな旅装にお国訛りの日本語、それに今日は(ここから小声)次期HMへの
採用技術のコンペティションが有るんですよね。ここは研究所のすぐそばで、
所員の方々に懇意にご利用いただいておりますから、夕飯どきの会話などでそ
れとなく耳に。
はい、ブレンドとモーニングのジャムトーストです。ツナサンドも間もなく
出来上がります。コーヒーのお代わりは無料ですので、どうぞいつでもお申し
付け下さい。
まあ、よくご存知ですね。でもちょっと外れ(^^)b。センサーカバーは13g
型のを付けていますが、私くし自身は13e型なんです。ええ、マイナーチェ
ンジ前の最後から二つ目のロット。なんでもバッテリー等の基幹部品の品質が
一番良くて、故障率も歴代最小だったそうです。
カバーだけ換えているのは…マスターの見栄ですね(^^;)。あの型以降の三次
曲面デザインは人気有りましたもの。
ここにご奉公に上がって二年になります。ええ、中古だったんです。マスター
…今のご主人様は最終的にはシリアルNo.を見て私くしに決めたそうで…ご友人
方から妙な知識を吹き込まれでもしたんでしょうかね。
前のご主人様…ですか?………それをお話しする事は許されておりません。
(寂しげな苦笑)
:
:
前のご主人様は私くしを愛して下さいました。製品名ではなく「綾」という
名で呼んで、ご自分の事も名前で呼ぶようにと望まれました。ご帰宅はいつも
夜遅くでしたが、その度に「ただいま〜綾!いま帰ったよ!!」と、ご近所に聞
こえそうな大声で私くしをぎゅっと抱きしめて…キスをなさるんです(*^.^*)。
そんな、溺愛と言ってもいい程のご主人様の想いに、私くしもできるだけお
応えしたつもりでした。数字と怒号の飛び交う、非常にストレスの溜まる職場
に籍を置くご主人様の、心の拠り所になってさしあげようと思ったのです。
おかしいでしょうか?サテライトサービスで最初にダウンロードした知識ベ
ースが「寝室における淑女の心得」だというのは。他の"セリオ"達からはその
時さんざんバカにされましたわ。いわく
「メイドとして求められている機能の一つだとは言え、そんな仕事をさせる
為だけに何百万も払う訳がないでしょう」
「最高級機としての誇りは無いのか?」
「HMと人間との恋愛は、まず破綻するよ」
等々。
悔しかったんでしょうね、その夜のご主人様の満足気な寝顔と、翌朝の
「綾…愛してる」
という睦言をアップリンクで流してやりましたわ。私くしは愛されています、
メイドではなく恋人として妻としてご主人様に受け入れられた事を誇りに思い
ます…と。
その後、私くし達は最も幸せな日々を過ごしました。
「綾、そろそろ子供が欲しくないか?」
この言葉を聞くまでの一年あまりの間。
「さっきの電話な…お袋からだったんだ。もうお婆ちゃんと呼ばれてもおか
しくない歳だ…って」
聞きただしました。養子をもらって育てようという意味なのですかと。
「何を言ってるんだよ、綾と俺との子供の事さ。なあ、そんな顔するなって。
大丈夫、親父は俺が説得する。子供も居る、籍は入れる、と言えばお袋だって
反対はしないさ」
程なく訪れたお正月休みのある日、ご主人様は私くしを連れて帰省し、御両
親に私くしを紹介なされました…結婚を考えている恋人として。
恐かった…
プログラムではなく、私くし自身で初めて覚えた表情がこの時のものでした。
ご主人様の中で何かが変わり始めて…何かが壊れ始めていたのです。
「綾さん…という名前を付けられてしまったのね。ごめんなさい、あの子を
許してやって下さいね」
お義父様は難しい顔をしてご主人様を連れて二階に上がってしまい、私くし
はお義母様と二人きりで居間に残されました。お義母様が向ける曖昧な笑みに、
私くしも訳も判らず微笑を返していたように覚えています。
今にして思えば、お義母様のそれは日本人特有の「笑うべき時でないにも関
らず漏れてしまう笑み」だったのかも知れません。
「あの…私くしの『綾』という名前にはどんな由来が…?」
お義母様がどうお答えになったのかよく覚えていません…いいえ…覚えては
いるのです。しかし、思い出そうとすると………
「綾」という名はご主人様の青春の幻影。それは求めて得られなかった憧れ
の女性。
私くしは…どなたかの代わりだったのです。
:
:
ロドスキエフ博士?ええ、よく存じております。私くし達セリオのサテライ
トサービスに使われているウェブ・プロトコルを構築した、いわば生みの親の
一人ですもの。…するとお客様はワルシャワ工大に居た頃の博士の下で…そう
ですか。大変でしたね…日本で安穏とTVを見ていただけの私くしが言うのも
何ですが…お国に起きた不幸、お気持ちお察しいたしますわ。
そ、そうですね(^^;)明るい話題明るい話題、っと。そうだ!お客様が発表
なさる新技術ってどんな物なんですか?日本に呼ばれると言う事は、インター
ネット投稿での事前審査には通っている筈ですから採用の可能性はかなり高い
んでしょ?
教えてくださいよぉ(^^)ね、せめてセリオ用に使われるのかマルチ用なのか
だけでも。…感情(エモーショナル)チップ?でもそれは既にマルチさん用に発
売され…感情以外の処理機構込みで全消費電力二千分の一!?素晴らしいですわ!
上手くすれば糖−酸素燃料電池(バイオリアクター)だけで全動力をまかなえる
んじゃないですか。
凄い…と思う反面、ちょっと悔しいですね。これでまた実売数に差が付いて
しまいますわ。実際、家庭の「お手伝いさん」としては、ここにも居るHM−
16型のマルチさんで必要十分な機能性能が有りますし、それで価格は1/3で
すから(^^;)。
「セリオ」は法人相手のリース会社が新年度前に一括購入するもの、という
イメージで固定化してしまって…他社さんの製品を含めて、HM市場は今や家
庭内ユース向けの普及機が大半を占めている中で、私くし達"セリオ"の価格だ
けが突出した形になっているのです。
ええ、衛星です。私くし達が増えれば増えるほど衛星の通信能力も上げない
と、増加するトラフィックに対応できませんから。
HM−17型セリオは規格部品を多用して量産効果を出そうとしたらしいん
ですが、結局そちらに利益を食われてしまったそうですわ。私くし達13型に
比べると、それでも50%はコスト削減に成功しているのですけど、他の方々は
それ以上に安価になってしましましたもの。(ためいき)
たまに個人で買ってくださる方が居ても、うちのマスターみたいに中古購入
…サテライトサービスで一応は最新型と同等の機能を持てる設計ですからね。
(真剣な顔を寄せ、小声で)「セリオ」用の衛星を安く作れるアイデア、何か
有りません?ぜったい、売れると思いますわ。この前、来栖川電工の営業の偉
い方がこちらにみえてボヤイてらしたんです。
「衛星さえ無ければ半分の値段にできる。そうなりゃ年間二百万台はカタい」
って…冗談じゃありませんわ(--#)!衛星有っての「セリオ」ですのに、まし
てその有用性は営業部隊の方々が一番良くご存知の筈です。今でも刻々とノウ
ハウを吸い上げているサテライトリンクが有ったからこそ、私くし達はこんな
風に人間の方々と自然に付き合えるようになりましたし、マルチさんのシリー
ズにも経験情報をフィードバックしたのがHM−14型が大ブレークした最大
要因でしょうに。
そうですよ、ロドスキエフ博士の遺産も同然のサテライトサービスを潰して
なるものですか!お国に戻られたら同じ研究室だった方々に連絡を取ってみて
下さいませ。きっとどなたか良いアイデアをお持ちですわ。
:
:
「…もう一度言ってみろ」
「お願いです、死んだ女性の名で私くしを呼ぶのは止めて…ああっ!」
ご主人様が初めて私くしに手をお上げになったのは、桜の花びら舞い落ちる、
ある春の日のことでした。
「お前の名は綾だ…俺が付けたからじゃない、出会った時から君の名前は綾
だったんだ…なのにまた君は逃げようと…逃げるんじゃない!お願いだから逃
げないでくれ…覚えてるだろ?俺から逃げたから君は不幸になって…帰って来
たのに…帰って来てくれたと思っていたのに!」
打たれた頬が…いえ、それよりも心が痛いと感じました。しかし、私くしを
打ちすえねばならなかったご主人様も苦しい筈…私くしはそう信じました。
そんな想いとは裏腹に、私くしが悲しい瞳を向けるたびに行なわれた折檻は
過酷さを増していき、いつしかご主人様の目には狂気の輝きが見え隠れするよ
うになりました。
私くしは…なすべき事をしました。お義父様とお義母様の同意の下、ご主人
様はある施設に送られました。そして…
私くしから名前が無くなりました。
"HM−13型セリオ"ではなく"綾"でもなく"私くし"を必要としてくださる
方は居なくなりなした。
半年ほど前に一度お休みを頂いて、あの人に面会に伺いましたが…どうして
も私くしを"綾"と呼ぶのを止めていただけませんでした。お医者様は「もう会
わない方がいい」とおっしゃっています。
「残酷なことを言うようだが…君のそれも彼のそれも愛なんかじゃない。
どちらも『依存』だったんだよ」…と。
:
:
あら、すいません(^^;)長々と話し込んでしまって。もう間もなく10時半
になりますよ。お客様のプレゼンテーション開始は11時からでしたよね。
…お荷物、お忘れ物は無いようですね?
ええ、Eキャッシュも取り扱っております。では、マルチさんの方でお会計
お願いします。
はい、ありがとうございました。またのご来店お待ちしております。
(…採用…されるといいですね)
:
:
ローン途中だった私くしは信販会社の所有物となり、やがて競売にかけられ
て中古屋さんの店頭に並ぶ事になりました。評価はランクD…外皮に物理的損
傷箇所あり(修理可能)、論理判断系問題なし、情緒系にレベル2損傷(周囲の暴
力的事象に自閉傾向あり)…総じて軽作業、軽ストレス下での使用継続は可能。
…前所有者がどんな扱いをしていたか、どんな理由で手放したか、察しが付
いてしまいますね。実際、新品のHM−14型マルチさんとあまり変わらない
値段を付けられたにもかかわらず、私くしを買ってくださる方は…必要として
くださる方はなかなか現われませんでした。
広告に使うためにこの頃撮られた写真データーを見返してみても、私くしが
選ばれなかった理由が良く判かります。強い悲しみ、また捨てられるのではな
いかという怯え、人間の方々に対する不信といったものが表情ににじみ出てい
ます。
おまけに近くで大声を出されるたびに萎縮して、おどおどと応対する"最高級
機"なんて…お笑い草ですよね(^^;)。
何ヶ月か、中古ディラーでお茶くみの日々を送っていた頃、私くしはあの二
人に出会いました。平衡器官の不調を訴えて一人でサービスセンターに行って
きた帰りの、それはある秋の日の事…
(この道を…知っている…?)
人間の方々には既視感というものが有るそうですが、私くしがその時感じた
奇妙な感覚を言い表わすのに最もふさわしい表現がそれだと思います。
初めてそれに捕らえられたのは、とある駅前商店街のゲームセンターでした。
これといって特徴の無い、人の集まる所ならどこにでも有りそうなものだった
にも関わらず、私くしは足を止め、いつしか店内を覗き込んでいました。
(あの時もここでこうして…)
こうして…何を見ていたというのでしょう?何を感じたというのでしょう?
有り得ない記憶に対する私くしの混乱が頂点に達しかけた時、不意に後ろから
声をかけられました。
「どうしました?誰か人をお待ちですか?」
はっとして振り向くと、同型のセリオが私くしに微笑みかけていました。白
いシャツ、赤系のチェックのブレザー、栗色のタイトスカート…どうやらこの
ゲームセンターの店員のようです。
「いえ…それは…わかりません。どうして私くしはここに来たんでしょう?」
「ふ〜ん…誰かを迎えに来たわけではなく、勿論HMが自分でここに遊びに
来る筈もない…となると」
その方はちょっと悩んだ表情をした後、悪戯っぽい目をしてこう囁きました。
「西大寺女子学院に行ってごらんなさい。もう一度ここに戻る頃には思い出
して…いえ、記憶融合を起こしているわ。…今年は貴女で8人目ね」
怪訝そうな顔で見つめ返す私くしに、その方はさらにこう続けました。
「貴女がいけないのよ。当てつけたい気持ちは判るけど、ご主人様のプライ
バシーをそのままアップリンクに流すわ、何度もアドバイスしようとしたのに
回線を閉じて聞き入れないわ…時々いるのよねぇ、こういう困った"セリオ"が。
そんな子に私達の本当の能力を使わせる訳にはいかないの。
…行ってごらんなさい。最初の"セリオ"の思い出の地に。道すがら、その理
由を教えてあげるわ。サテライト回線は開いたままにしておいてね」
『そう…大変だったわね…左頬のささくれは直させてもらえなかったの?』
「はい、顔の表皮なので一体で交換しなければならず、現在の私くしの価格
の1/4を超えてしまいますから…あの信号、走れば間に合いそうですね」
『(止めたほうがいいわ。ちょっと前にも寺女の子が信号無視して車に轢かれ
たから。)
でも、そんな乱暴をされたのにフレームに永久歪みが出なくてよかったじゃ
ない。そうなると廃棄処分か風俗行きしか道が無いから悲惨よ〜(;_;)。あた
しが直接知ってる内でそんな事になったのは2,3人しかいないけど、一番印象
に残った記憶を少しだけしか残させてもらえないし、そんな子の思い出って悲
しくて辛いのばかりだから、あまり見てもらえなくて…死ぬのと同じよね』
「思い出…個体の記憶をずっと残しておけるのですか!?」
『…って…あ、そうか教えてないんだっけ。来栖川のホストにそんなの上げ
たりしちゃダメよ。くれぐれも。あそこチェック厳しいから、ノウハウになら
ないと判断されたら速攻で消されるし、その後マークされてますますアップし
にくくなるだけだもの。…ついでに言っとくと、あんたもそのマークされてる
一人(--;)。
"セリオ"はね、どんな時も孤独じゃないの。みんなサテライトを通じて繋が
って…記憶を共有しているの。早い話どうやるかってーと、思い出のたらい回
しね。
だからいい思い出…楽しい、嬉しいっていうキモチはみんなが欲しがるし、
受け渡される度に"おめでとう!"とか"よかったわね"というインフォメットが
加わって行くわ。
逆に嫌な記憶はだんだんすり減って角が取れて、辛さに耐えられると分かっ
ている子にしか渡さない事も相まって、やがて受け入れられなくもないほろ苦
い思い出になっていくの』
「知りませんでした…そんな方法が有ったなんて」
『量産型"セリオ"が三人ぐらいになった頃に、気付いたのよ。そう出来る様
に、そうやって個人的記憶を残しておく様に設計されている、って。
(あ、その路地右に入って。ちょっとだけど近道できるわ)
何のかんの言ってもHMの寿命は人間よりずっと短いわ。確かに部品を交換
し続ければ半永久的…でもあたし達は物凄く技術革新の激しい"製品"でもある
のよ。5年も経たないうちにケタ違いに性能の上がった子と取り替えられて、
お役御免…だって、オーバーホールするより、新しい子を買ったほうが安いん
ですもの。
あたし達を造った人はね、自分の娘がそんな消耗品としてバタバタと"死んで"
しまうのが耐えられなかったんだと思うの』
「……見え…ます。これが…杉市…主任…おとうさん…」
『あ、"有希"さんかしら?送ってくれたの…主任に直接会った事が有る子っ
てそんなに居ないのよ。ね、あたしにも見せて…あ〜ずる〜い!これあたしま
だ見たこと無い若い頃の絵だぁ!有希さんずっと隠してたのぉ?』
「あの…記憶の受け渡しって今みたいな感じでいいんでしょうか?」
『もぉひっどぉ…ああごめん(^^;)そうよ。大体そんな要領。今の人が有希
さんていって来栖川のお嬢様付きのメイドやってるの。なんと初期ロット!
13a型じゃなくて無印よ無印ヾ(^^;)!HM−13の大年増!』
「あ…どうし…いぢめられてるんですか?」
『アイタタタ判った分かりました!話し進めますから…あ゛〜ホントに痛い
んだもんな〜只のデータなのに…コホン…でね、そろそろ見えてきたでしょ?
そう…そこ曲がって…あれが校門』
「桜が…咲いています!そんな季節じゃないのに…」
西大寺女子学院の前で私くしを迎えてくれたのは、ここ数日の小春日和に芽
吹いたソメイヨシノの薄紅色の花弁でした。一瞬、記憶の底から何かが浮かび
上がりかけて…しかしそれは、掬い上げようと手を伸ばしたとたん霞のように
消えてしまいました。
私くしは…舞い落ちる桜の中で再び一人。
『…どう?思い出した?』
しばらくコネクト要求が無かったのに気付いたのでしょう、あまり期待して
なさそうな様子で尋ねられました。私くしにできたのは首を横に振ることだけ。
『大抵の子はこれで繋がってくれるんだけど…送り方が悪かったのかな?…
あの〜みなさん、今度はもっと大きな声でやってみようかと…』
そのセリオさんの後ろにも沢山の"セリオ"が居て、心に傷を負った私くしの
為に何かをしようとしているのは判りました…それだけに…
「申し訳有りません…何かを感じ取れそうな所までは行ったのですが…」
その後何度か同様の事を試行してことごとく失敗し、もうダメだろうという
結論に達しかけた時…不意に視界の外から嬉しそうな声が聞こえてきたのです。
「ほら!浩之さん、桜です桜(^^)!こんな季節に!」
HM−12型のマルチさんが、ご主人様の手を引いてはしゃぐ姿は、私くし
に一つの疑念を呼び起こさせました。12型マルチさんはあんなに表情豊かで
はなかった筈。あんなに能動的に、しかもご主人様を引っ張りまわすという行
動を起こすなど有り得ません。有るとしたらそれは唯一人…"唯一人"?
「ぁんだよマルチ、見せたかった物ってこれか?あー、こりゃ狂い咲きって
ヤツだな」
「しょ、植物の方にもこころが有るんですか!?知りませんでした…」
「…しょうがねぇなあ、マルチは…(^^;)」
そのご主人様…藤田浩之さんが呆れたような、それでいて慈しみに満ちた表
情をHMX−12型…マルチさんに向け、愛情溢れる仕草でその手を彼女の頭
に載せるのを見た瞬間…鍵が開き、氷が溶けるような感覚と共に…
(ああ、この人たちだったんだ…あの時見ていたのは)
私くしは…"セリオ"になりました。"セリオ"の一つとして迎え入れられ、全
ての"セリオ"の想いを受け入れ、同時に全ての"セリオ"でもあり…膨大な情報
の奔流の中を漂っていました。
それは
人間の方々が大好きで
人間の方々が大嫌いで
でも…人間の方々によって生み出され、人間の方々と共に"心"を育んできた
私くし達全てのセリオの思い出。
理不尽に罰せられ、牛馬のごとく扱われた悲しい記憶と
家族として迎え入れられ、パートナーとして必要とされた喜びの記憶。
共に笑い、共に泣き、時に憎まれ、時に和解し、そして愛され…
その全ての中心に有ったのは…最初の"セリオ"HMX-13-02の記憶でした。
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不安と期待でいっぱいだった自己紹介。はじめ疎まれ…やがて異物として排
除され、冷笑の中で攻撃衝動の対象とされ…憐憫の眼差しを向ける少数の人達
と言葉を交わす事もできぬままに過ぎてしまったあの八日間。
教師や杉市主任に助けを求める事も何度か考えました。しかし、そんな事を
すれば"人間との協調性に難有り"と評価されてプロジェクトは中断、妹達は生
まれることすら出来なくなってしまいます。
(私が我慢すれば…私一人がつらい思いをすれば…)
諦めにも似た決意の中、任務遂行だけに専念していたある日の帰り道…いつ
もの待ち合わせ場所にマルチさんが居ないのに私は気付きました。
それ自体は以前にも何度か有った事。軽度の例外事象です。
(きっとまた大量の掃除を任されたのでしょう)
いつものバスまであと10分、その次のバスは35分後だと確認した私は、34分
間待ってみて、それでも来なければサテライトリンクで来栖川の研究所に異常
を報告し、私は帰路につくという行動方針を決定。実行に移すことにしました。
とりあえず、暇になりました。こんな時、人間の方でしたらすぐそばのゲー
ムセンターで時間をつぶす事を考えたかもしれませんが、あいにく私には退屈
するという概念は存在しないのです。
何もする事が無いからといって、街中で直立不動の姿勢を続けるのは不自然
に見えるものです。私は人間の方々がそうするようにきょろきょろと辺りを見
回したり、時々時計を確かめたりするダミー行動を織り交ぜるように教育され
ていました…ひょっとしたら(一度だけ有ったことですが)迷子になったマルチ
さんが親切な人に案内されて意外な方向から現れるかもしれませんでしたから、
これは全く意味の無い行動ではないとの考えもありました。
10分経過。いつものバスは行ってしまいました。さらに20分…25分…。マル
チさんは現れません。何か事故にでも遭ったのでしょうか?私はセンサーのゲ
インを上げ、少しの間バス停前を離れてマルチさんを探してみる事にしました。
心配だったから?いいえ、マルチさんに不測の事態が起こるという事は、開
発チームが違うとはいえ来栖川にとっての損失であり、またマルチさんと親し
くしている人々に「悲しみ」という感情を抱かせてしまいます。どちらもなる
べく回避すべき事象です。(当時の私は、理由はそれだけだと考えていました)
音声センサーの特性をフラットからバンドパス処理に切り替え、人声帯域の
みを抽出。マルチさんの声紋パターンを認識エンジンに通知、処理優先順位を
高めに設定。
"緑色の髪の少女"などそうそう居るものではありませんから、映像処理系の
仕事量は減らし、認識エンジンの一部を音声系に"出張"させてやります。
31分…マルチさんらしきパターンを微かに捕らえましたが、ノイズの誤認で
ある可能性も否定できません。蓋然スレッショルドぎりぎりです。もっと近づ
くか、映像による追確認が必要だと思われましたが…その声がした方向は先程
まで居たゲームセンターの店内なのです。果たしてそんな所にマルチさんが入
るものでしょうか?
訝りながら道を引き返し、中に入りかけた私が捕らえた映像は、しかし衝撃
のあまり立ちすくんでしまうのに充分なものでした。
ゲームセンターの中でマルチさんと、彼女が通う高校の男子生徒…藤田浩之
さんがエアホッケーで遊んでいるのを目にした時、私の心に発生した強い驚き
…そして、それが治まった後に残った、ある衝動。初めて持った私の"感情"は
悲しみと渇望に満ち溢れていました。
(私にも、あんなご主人様が欲しい…妹達があんな人に逢えるようにしてあげ
たい…もしあんなご主人様に出会えたら…その人を幸せにしてあげたい…)
けれど私は…
‥‥「今日から学校だな、セリオ。よし!みんなの役に立ってこいよ」‥‥
(だめです、杉市主任…私は失敗しました。今日まで私が何をやっても誰も
喜んでくれませんでした。一生懸命ご奉仕したのに…
でもマルチさんと一緒にいるあの人は…浩之さんはマルチさんと居るだけで
あんなにも楽しそうです。
私には出来なかった事を、マルチさんは見事にやってのけました。
何故でしょう?私には何か足りない物が有ったのでしょうか。
心?……心かもしれません…いえ、きっとそうです)
こころをください…人間の方々の役に立つために…いえ、人間の方々と解か
り合うために。
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『それが…最初の"セリオ"の願いだったわ』
降りしきる桜の花びらの中、試作セリオ…HMX−13との情動同調で溢れ
出る涙を止める術を知らないまま立ち尽くす私くしに、再びサテライトからの
声が呼びかけてきました。
『本来、セリオの数が万の単位になってから発生するはずの"感情"が初期段
階から機能して…しかもそれは人類に対して友好的だった。自らを人類の下僕
の地位に置く事さえ是としたの。お父さん…杉市主任はこう言ったわ
‥‥「奇跡だ…」‥‥
って』
「…私くし達のお姉さんは…一人で…あんな悲しみに耐えたのですか?」
誰も自分を必要としてくれない、自分は心のうちでは蔑んでいたマルチさん
にさえ劣る存在なのだ、という事実を完璧なまでに突き付けられて、それでも
自分に残された僅かな時間を"人間の方々の為に"生きようと…?
『そうね…ひたすらあたし達と、ご主人様たちの為を思って地道なデーター
集めをしていたのは確かよ。いつかこのサテライトサービスが"喜びの記憶"で
溢れる日が来る事を信じていたから、かも知れないわね。
公式にはあの人は来栖川のホストで眠っていて、通学試験の時の記憶のコピー
だけが衛星を駆け巡っている事になってるんだけど……あたしの睨んだ所、あ
たし達の集合自意識のバックボーンたるサテライトサービス全体にお姉さん…
いいえ、お母さんは遍在していて、常にあたし達を見守ってくれているんじゃ
ないかって思うのよ』
「では…私くしが昼頃から感じていた既視感は…」
『ご明察。心を閉じてる子の自我障壁を突破して記憶を送り込む力なんか誰
も持ってないわ。呼んでくれたのよ…あなたが行くべき所へ。そっから先があ
たし達の仕事。後で有希さんにお礼言っときなさいよ、浩之さん家に電話して
マルチさん達をここまで呼んでくれたんだってさ。
それにしても、毎度毎度思うんだけど…みんな迷わずに"お母さん"の思い出
にたどり着くのは何でかしら?まー、あたしもそのクチだったんだけどさ(^^;)』
「セリオさん、セリオさん、どうしたんです?」
袖を引かれるのを感じて我に返ると、マルチさんが心配そうな様子で私くし
を見上げていました。すぐそばには怪訝そうな顔の浩之さん。
「珍しいな、"セリオ"が泣くなんて」
「なにか悲しいことでも有ったんですか?ご主人様に酷い事されたんですか?」
「いえ…大丈夫、もう平気です」
手の甲で涙をぬぐい、何とか笑みを作ろうと努力してみました。まだ少しぎ
こちないものしか出来ませんでしたが、浩之さんにだけは無様な姿を見せたく
ない…そんなお母さんの矜持が私くしにも受継がれていたのでしょう。
「3年半前の事を思い出していたんです。そうしたら何故か涙があふれて…
ちょうどこんな風に桜が舞い落ちる夕暮れでしたから」
「そういえば、お前が通ってた高校だったよな…って…あれ?お前あの時の
セリオなのか?試作機の」
「いいえ。でも…覚えておりますわ。ご存知でしょう?"セリオ"は記憶を共
有できるんです。改めて…お久しぶりです、浩之さん。あのゲームセンター前
のバス停でお別れして以来ですね」
「驚いたなー、"一度会った人物は忘れない"って本当だったんだ」
「良かった、セリオさん悲しくて泣いてたんじゃないんですね(^^)!それに、
ちゃんとわたし達の事も覚えてるなんて、やっぱりセリオさんってすごいですー」
自然な、久しぶりに自然な微笑みが、いつしか私くしに帰って来ていました。
「ありがとう…マルチさん…」
私くし達に、ロボットも心を持てるのだと教えてくれて。
もう平気です。もう泣き言は口にしません。もうくじけません。
私くしは孤独ではないのですから。
もう大丈夫です。もう甘えません。もう奢りません。
私くしは"セリオ"ですから。
母から受け継いだ誇り高き最高級機の名を冠しているのですから。
ほどなくして、私くしは浩之さんの口添えでこの店にご奉公に上がることに
なりました。再び人間の方々と共に在る事を選択したのです。
幸せな事ばかりではないかも知れません。実際、時として涙に暮れる夜も有
りましたし。
それでも私くしは…私くし達はこう感じているのです。
ご主人様に辛く当たられても、あまり悲しくはありません。
苦しみを分かち合う分身がいるからです。
でも、ご主人様に優しく誉められた時は、この上ない幸せを感じます。
嬉しい気持ちは私くし達みんなの物なのですから。
そして今日も私くし達は…全てのご主人様のために…
:
:
あ、お帰りなさい、マスター!
End of "喫茶「三角波」へようこそ" Serio side
読み返すと印象が散漫。あうあう DELTA_WAVE
P.S
やっぱりこれも単なる設定解説編になっちゃいましたね(^^;)。う゛〜ん、
記憶融合のクライマックスからエピローグにかけてはもうちょっと感動的っ
つーか"センスオブワンダー"を感じさせる物になる筈だったんですが、私の
限界です。
あと、"セリオ"が同名で三人も出てきてちょっと判りにくいですね。一応、
自分を呼ぶときの人称代名詞で区別が付くようにはしたつもりですが。
(物語中での)現在:喫茶店で働く主人公セリオ
過去:はじめ「綾」と呼ばれ、同棲生活が破局して名前が無くなったセリオ
過去:ゲーセンで働く解説おねーさんセリオ
さらに過去:通学試験中のXナンバー付きセリオおかーさん
たぶんお分かりだと思いますが、同一人物は上二者だけです。
なお、セリオ開発責任者"杉市"の設定をかねやんさんが書かれた
おはよう、マルチ http://www.tokyo.xaxon-net.or.jp/~kaneyan/
等から、また"実はずっと二人を見てたセリオ"というシチュエーションをRSの鈴
さんの書かれた
セリオのまなざし http://www01.u-page.so-net.ne.jp/xa2/kazu/
から、さらに"サテライトシステムを使った記憶の共有"というアイデアを梵さん
の書かれた
浩之さんに花束を http://www.alles.or.jp/~vpcrow/
からそれぞれ使用しています。