3.SWAP MEMORIES


  「それでは、両者位置について、互いに礼!」

  「「お願いします!」」
  
  −これは……中学3年のときの空手の決勝大会?

  「せっ、はっ、ィヤァーッ!!」

  「綾香せんぱーい、頑張ってくださーい!」

  −ああ……葵の応援してくれる声が聞こえる。

  「一本、そこまで!  勝者、来栖川綾香!」

  −そう、この時は、確かローキックから、上下に揺さぶる正拳突きの
コンビネーション、最後は右の回し蹴りが決まったんだった……って、
どうして私がそんなことを知っているのだろう?

 「キャァーーーッ、やったぁ、せんぱあい!!!」

  −ああ、葵たちが喜んでいる。

  −葵? 葵って誰?

  −私は……。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 

  (いよいよ、明日からだが…セリオ、体調はどうだい?)

  これって、セリオの最初の実地試験の前の晩?

  (−システムオールグリーン、とくに問題はありません)

  (そうか。そういえば、7課のHMX-12マルチも明日から、学校に通うそうだ)

  (−はい、存じております)

  (「感情制御プログラムを持った人間らしいメイドロボ」ってコンセプトは悪く
ないが、どうにもあの娘はそそっかしいからな。往復のバスでは一緒になると思
うから、それとなく気をつけてやってくれ)

  (−了解しました)

  (……なぁ、セリオ。やはり、おまえにも感情制御プ……いや、繰り言だ。
忘れてくれ)

  忘れません、柳川さん。

  HMX-13の開発主任であるあなたが、何を言おうとしたのかわかるから。

  あなたが我が子を見るような目で私を見つめてくれたから。

  あのとき、あなたは私にこう聞きたかったんですよね?

  「おまえにも感情制御プログラムを付けたほうがよかっただろうか?」

  私……私は……。

  私は、誰?

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  「……と、いうような夢を見たのよ」

  「なんだ、そりゃ?」

  綾香とセリオが入れ替わり、芹緒&アヤカ状態になってから3日がたった。

  いまのところ、大きなミスもトラブルもなく、互いの立場をうまく演じる
ことができている。

  ただひとつ、いつもと異なるのは、放課後、浩之が帰るのをふたりが校門前
で待ち伏せして、帰り道、一緒にヤックに寄ったりゲーセンで遊んだりするの
が日課になったことだろうか。

  いまも、すでに指定席となりつつあるヤックの奥のボックス席で、アヤカが
浩之に相談を持ち掛けている最中なのである。ちなみに、今日は珍しく芹香も
同席している。

  「で、なんだ? 俺に夢判断でしろってーのか? 言っとくが俺は千鶴さん
じゃねぇんだから、うまい解釈なんてできねーぜ」

  「千鶴さんって、誰よ?」

  「なんだ、オメー、『痕』読んでねーのか? ホレ、こないだ映画にもなっ
たじゃんかよ」

  放課後のひとときを友達と過ごす、他愛もないひととき。

  だが、それは芹緒にとって、これまで想像もしなかった世界でもあった。

  いや、1度だけ、例外はあった。あの時もまた、隣りに浩之の姿が……。

  「ねぇ、セリオ、セリオってば!」

  ふと、アヤカがこちらを覗き込んでいることに気が付く。

  放熱索を兼ねた緋色の髪。

  偏光クリスタル製の紅玉のような瞳。

  銀色に輝くセンサーカバー。

  自分のはずだが自分ではない姿に、一瞬めまいを覚える。

  「−は、はい、何でしょうか?」

  「だからね、メイドロボもふだん夢を見るのか、って」

  「マルチのヤツは見るって言ってたぜ。それまでに起こった出来事が頭を
よぎるんだそうだ。へへ、走馬灯ってヤツだな」

  「ちょっとォ、縁起の悪い言い方しないでよ!」

  「−浩之さんの言うとおり、私たちも充電中に夢らしきものは見ます。メモ
リーを整理し、記憶を最適化するための作業ですから、それを夢と言ってよい
かどうかはわかりませんが。ただ、人間の夢も結局はこれと同様の作用なので
はないか、という学説も存在します」

  「ふーん、じゃあ、このところ毎晩あんな夢を見るのも、故障ってわけじゃ
なくて、セリオの元々の仕様なのね?」

  「−はい」

  でも、綾香お嬢様。お嬢様の身体にいる私も、夢を見てるんです。お嬢様の
過去の思い出を……。

  わずかな罪悪感から、その言葉は芹緒の唇からこぼれることはなかった。

  そして、彼女たちは気づかなかった。

  白い肌をいつもより一層白くした芹香が、こっそり浩之の袖を引っ張って、
「話があります」と囁いていたことに。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  「なんだい、長瀬のオッサン、先輩も。ふたり揃って話って」

  芹緒を来栖川邸まで送り、アヤカも研究室に届けたあと、浩之は芹香に連れ
られ、再び長瀬主任の部屋に来ていた。

  「浩之くん、マズいコトになりました」

  長瀬主任は、浩之の顔を見るなり、いつものとぼけた表情と裏腹のまじめ
な顔つきで、そうきりだした。

  「綾香様の夢の話は聞いてますね? 芹香様に確認したんですが、綾香様の
身体に入ったセリオのほうも、じつは夢を見てるらしいんですよ」

  「??  それが? 夢なんて人間、誰でも見るだろ?」

  「ただの夢なら問題はないんですがね。聞いたところ、どうやら綾香様の過
去の記憶らしいんですよ」

  「ん……あ、そりゃマズいか。一応、綾香も年頃の女の子だもんな。でもま
ぁ、こういう非常事態なんだし、この際、プライバシーの侵害は大目に……」

  「違うんです」

  長瀬主任の話はこうだった。

  もともと記憶というものは脳に蓄積された電気信号の記録の集大成である。
メイドロボの場合も、脳の代わりにメモリバンクがその役目を果たしている
が、本質的には変わりない。いま、綾香とセリオのふたりは、心というか意識
がそれぞれ互いの身体に入れ替わっているとはいえ、肉体的な脳に蓄積された
記憶データ自体は、おそらく元の場所に存在しているはずだ。だからこそ、
セリオが綾香の、綾香がセリオの記憶を夢に見る−思い出しているのだろう。

  「それだけなら、まだいいんです」

  元々、人間−そしてメイドロボも−の意識というものは、一定のキャパシ
ティがあって、ふたとおりの過去の記憶などというものには耐えられないは
ずだ。別の過去を思い出したとき、それに相当する部分の本来の記憶の上に
上書きされている可能性があるのだ。

  「つまり、綾香はセリオの、セリオは綾香の記憶を持つようになるってこと
か?」

  「そうです。そして……」

  ふたりの意識はいまきわめて不安定な状態にある。この状態で、もし、これ
までの自分とはまったく違う過去の記憶を突きつけられた場合、はたしてそれ
でも従来の自我を保てるだろうか?

  本来、自我というものは、いくらかは天性によるものがあるにせよ、大部分
は過去の経験、すなわち記憶の積み重ねによって形成されるもののはずだ。
もし、身体が入れ替わったいまの状態で、記憶までもが完全に入れ替わってし
まったら……?

  「お、おい、それって……」

  「ええ、このままだと、セリオが綾香様に、綾香様がセリオになるでしょう」

  衝撃の事実にしばし呆然とする浩之。かろうじて、言葉を紡ぐ。

  「で、でもよ、それって、まだいくつものIFが混じった仮定の話なんだよ
な?  実際、ふたりにそんな傾向は見られないし……」

  ふるふる。

  「え? どうしたの先輩? 『今日見たとき、すでにふたりの"気"の色合いが
かなり似通ってきていました』? そ、それじゃあ……」

  コクン。

  「なんとか防ぐ方法はないのかよ?」

  「残念ながら……早急にふたりを元に戻す以外には」

  「タイムリミットは?」

  「先ほど、セリオをチェックしたときのデータから推測すると、この3、4日
が限界でしょう。満月の晩の儀式とやらが失敗すれば……」

  「2度目のチャンスはないってワケか」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  (あ、浩之さん、この方は私と同じ研究所のセリオさんです)

  (−どうも、はじめまして。HMX-13セリオです)

  (はじめまして、オレは藤田浩之。ふーん、マルチの姉妹ってワケか。
   そうだ! マルチ、セリオ、いまヒマあるか? もしよかったら、ここの
   ゲーセンにしばらく寄って行こうぜ」

  ……これは、私が、いえ、セリオが浩之に初めて会ったときの記憶?


  (よっ、セリオじゃんか。マルチを待ってんの?)

  (−はい)

  (なんだ、マルチはまだ来てないのか、しゃーねーな、多分また残って掃除
してんだろうな)

  優しく笑いかける浩之。どうしてだろう。なんだか胸の奥がほんのり温かく
なったような気がする。これはセリオの記憶のはずなのに……。

  (−……)

  (そーだ、またゲーセン寄ってこうぜ、セリオ。 すぐそばだし、マルチが来
ればすぐにわかると思うぞ)

 (−はい)

  頬が熱い。もし、私が、セリオが人間の少女なら、おそらく顔を真っ赤にし
ているに違いない。そう、セリオが人間なら……。


  (ホレ、これ取れたからやるよ)

  UFOキャッチャーで取ったクマのぬいぐるみを差し出す浩之。

  (−私に、ですか? ありがとうございます)

  うれしい。この身体も含めてなにひとつ自分のものを持たない私の、
たったひとつの大事な大事な宝物。小さなクマのぬいぐるみ。

  うれしい?  そう、これが「うれしい」という感情なのですね、浩之さん……。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  「ふうん、最近姉さんが気に入ってる男がいるっていうから、来てみたん
だけど……なるほどね」

  「なんだよ、オメーは…って、来栖川先輩の関係者か?」

  浩之さん、ちょっと不機嫌そう。これは……綾香お嬢様が浩之さんと初めて
会ったときの記憶?

  「あら、よくわかったわね」

  「そりゃそーだ。その顔見れば見当はつく」

  「私は妹の綾香、来栖川綾香よ」


  互いの第一印象は最高…とは言い難かったけど、それでも、すぐに私は、
いえ、綾香お嬢様は浩之さんに惹かれていった。

  彼の飾らない笑顔に。

  彼のぶっきらぼうな優しさに。

  彼の自然体でいる強さと、少年らしい意地っぱりな所に。

  彼は、いままでの私たち姉妹の周囲にはいなかったタイプの男だった。

  でも……姉さんも、浩之が好きみたい。

  どうして、姉妹でおんなじ男性を好きになっちゃったんだろう……。




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