〜4月19日(土)〜 星の少女
その日、僕がいつも通りに研究所に行くと……。
「祐介くぅん。今晩お・ひ・ま?」
……と、主任さんが猫なで声で質問してきた。
「な、何ですか? いきなり……」
僕が明らかに上ずった声で聞き返すと、
「もう、野暮ねぇ。女からの夜のお誘いといえば、でーとに決まってるじゃな
いの」
「で、デートって、……誰とですか?」
「んふっ、私の口からそこまで言わせる気?」
主任さんは僕の胸にくねくねと『のの字』を書きながら、耳元でそう囁く。
思わず、ぞぞっと背中に悪寒が走った。
「い、いえ。そういうわけでは……」
「じゃあ承諾ってことね♪ そうと決まったら今日はいったん家に帰って、ち
ゃんとおめかししてからいらっしゃい。時間は9時、場所はここね。遅刻した
らオシオキよ♪」
そう言うと主任さんは、一枚の地図を手渡した。この近くにある遊園地の場所
が、大きく赤丸で記されている。
「あのっ」
「お・し・お・き・よっ!?」
「………はい、わかりました……」
それだけ聞くと、主任さんは嬉しそうに鼻歌なんか歌いながら、研究室の方へ
と歩いていった。
…どうやら、僕の意見はトコトン無視されるようである。
……しかし、人生17年。初めてのデートの相手が三十路のオバサ…
クルリ
「何か言ったかな? 祐介君?」
「いえ、なんにも」
「そう。――それじゃあ、そんなとこに突っ立ってないで、さっさと帰った!」
「は、はいぃ!」
主任さんの一喝を浴び、僕は脱兎のごとく研究所を後にした。
……ちょっと待て。今日はセリオに会ってないじゃないか!?
僕がそのことに気づいたのは、研究所発のバスに飛び乗った後のことだった…。
「ふう」
8時50分、約束の時間の10分前。
僕は指定された遊園地の正門の前に立っていた。
ここの遊園地は比較的大きな方で、ジェットコースター、メリーゴーランド、
大観覧車などのアトラクションも豊富で、カップルたちに人気のあるところだ。
だが、しかし……。
「本日はお越しくださって誠にありがとうございました。当園は9時を持ちま
して閉門とさせて頂きます。またの御来場を心よりお待ち申し上げます……」
……何を考えているんだ、あの人は。
確かに9時って言ったよな?
それとも向こうの方が閉門時間を勘違いしてたとか…。
僕の心配をよそに、時間は刻々と過ぎていき、とうとう待ち合わせの9時――
および閉門時間になってしまった。
「……………」
10分経過。
……ま、まさか本当に時間を聞き間違えたのかな…。
常識的に考えてみれば、夜の9時に遊園地で待ち合わせなんて方がおかしいし
……。
僕が不安の渦に陥りそうになった時、向こうの方から車のヘッドライトの光が
こちらに近づいてくるのが見えた。
キキィーーッ
車は僕の前で止まり、中から白衣姿の相田主任が現れた。
「こんばんは、祐介くん」
「『こんばんは』じゃないですよ! 主任さん。遅刻ですよ」
「あははは。ごめんなさいね。ちょっと服を着るのに手間取っちゃって」
「服……って、いつもと変わらないじゃないですか!?」
「ふふふ。…ほら、恥ずかしがらないで出てらっしゃい」
主任さんが後ろを向いてそう言うと、車の反対側のから誰かが降りてきた。
それは――
「セリオ!?」
僕は素っ頓狂な声を上げた。
「――こんばんは、祐介さん」
「………………」
僕は呆けてしまっていた。
それはそうだ。
だってセリオは、いつもの制服姿ではなかったのである。
何というか、白と赤が基調のスラリとした布地にひらひらの飾りのたくさんつ
いた……いわゆるピンクハウスと呼ばれる種類の服を着ていたのであった。
はっきり言って似合ってるとか似合ってないとかという次元の問題じゃあない。
凄まじく可愛い。
それこそ等身大のフランス人形といった感じだった。
「じゃ、祐介くん。セリオとのデート、たっぷり楽しんでね♪」
「ち、ちょっと主任!」
僕は車に乗り込もうとする相田主任を慌てて捕まえた。
「主任さん。一体なんですか!? あれは?」
「あら、あれはセリオが選んだのよ」
「な……」
「どういった服着て祐介くんとデートしたい?って訊いたら、『カワイイ服が
いいです』って言うから、私が持っている中で一番かわゆいのを着せてあげた
んだから」
「しゅ、主任さんのなんですか!?」
「なあに、私が持ってちゃ悪い?」
「い、いえ。そ、そういうわけじゃ……」
セリオが着てる分にはいいんだけど……。
「それに、もうここは閉まっているんですよ?」
「なに言ってるの。だからじゃない。他の人がいたんじゃ祐介くんが気兼ねす
ると思ったから、わざわざ夜の遊園地一つ貸し切ってあげたんだからね♪」
そう言ってウインクした後、相田主任は突然真剣な表情になって、
「いい、祐介くん。このデートの時だけは、セリオを普通の女の子を同じよう
に扱ってちょうだい」
「え……」
「それが多分、あなたにとっても、セリオにとっても良いことになるから…」
相田主任はそう優しく微笑むと、すっと僕の頬を撫でて、車に乗った。
「じゃ、セリオのことよろしくね。いくらデータ取ってないからって、変なこ
としちゃダメよ♪」
「……主任……」
相田主任は最後にもう一つ軽口を言うと、車を発進させて行ってしまった。
……でも、僕は気づいていた。
その瞳の奥に、悲しみの色が宿っていたことを――
「ねえ、セリオは何に乗りたい?」
僕は隣を歩くセリオに訊いてみた。
夜の遊園地。二人っきり…。
それでも機械のイルミネーションなどはすべて点いており、まるでおとぎ話の
中に紛れ込んでしまったような不思議な感覚を憶えさせる。
僕は自然と彼女の手を取って歩き出していた。さしずめお姫様を守る騎士とで
も言ったところか。童心に帰ったような気分の僕の顔には、いつもとは違った
明るい笑みが広がっていた。
「――あれがいいです」
そう言ってセリオが指差したのは、子供の頃、遊園地でよく乗ったアームの先
に飛行機だかUFOだかが付いていて、それに乗ってグルグルと回る乗り物だ
った。
スリルも何にもない、子供だまし甚だしい乗り物だったが、それでもあの頃は
乗る度に大はしゃぎをしていたものである。
「よし! あれに乗ろう」
僕はセリオの腕を引っ張って、…でも、長いスカートをはいている彼女に少し
気を遣いながら、その乗り物の方へと走っていった。
僕たちはそれから、いろいろな乗り物やアトラクションを回り、今宵の夢のよ
うな時間を十分に楽しんだ。
ジェットコースター、観覧車、メリーゴーランド。さらには、バーチャルシス
テムを使った疑似世界での冒険など、セリオと一緒に行ける所は全て回ったと
いった感じだった。
実際、こんなに楽しく遊び回ったのは何ヶ月…いや、何年ぶりだろう。僕は自
分がかつてないほど浮かれていることに、驚くとともに嬉しさを感じるのであ
った。
セリオはいつもと同じように、自分から積極的に話すということはなかったが、
僕の掛ける言葉には必ず応え、終始、僕の顔をじぃ〜と見つめ続けていた。
「なに、セリオ? 僕の顔に何か付いてる?」
あまりにも熱心に見つめているので、メリーゴーランドの脇のベンチに腰掛け
た時、訊いてみた。
「――とても楽しそうです」
「ああ、セリオと一緒だからね」
今ならこんなセリフも自然と出てくる。
「――……そうでしょうか?」
セリオはそう言って、小首を傾げた。
「え?」
「――祐介さん、私といる時は、いつも辛い表情をしていました」
「…………」
「――……」
「……ああ、そうだったかもしれない。……でも、今楽しいって言うのは本当
だよ。……それにね…」
「――………」
「もし、本当に辛いだけだったら、セリオに会いには来なかったよ」
「――………ありがとうございます」
セリオは僕から視線を外し、そう呟いた。
僕はベンチから立ち上がって、ふと空を見上げた。
黒い空にちらほらと、微かな瞬きが見受けられる。
「……もっと周りが暗ければ、良く見えるんだけどな……」
「――何がですか?」
「ん…、星だよ。今日は月がないから星が良く見えるはずなんだけど…」
「――……月の光で星の輝きが隠されてしまうのですね」
「そう。月の光っていうのは案外強烈でね。周りの星がどんなに輝いていたっ
て、月明かりに邪魔されると、地上の人間には気づいてもらえないんだ」
僕は数歩前に歩き出しながら、後ろのセリオにそう解説した。
「今は月は出てないけど、ここの派手な明かりの方が問題だね」
「――消しましょうか?」
「えっ!? そんなことできるの?」
「――はい。現在、ここのセキュリティのアクセス権は私にありますから」
「あ、そうなんだ…。う〜ん。…じゃ、お願いできるかな、セリオ?」
「――はい。少々お待ちください」
彼女がそう言ってから数秒後、フッと辺りの照明、イルミネーションの光が、
一斉に消えた。
あれだけたくさんの光が一挙に消えた瞬間は、さすがに驚きと不安を感じたが、
徐々に闇に慣れてくるのを待って、僕は上を向いた。
闇に包まれた世界の上を飾る無数の宝石たち。いつもはただの黒いだけと思っ
ていた夜空も、たくさんの小さな星々が懸命に光り輝いていることがわかる。
「………うわ〜、凄いなー。ほら、見てご覧よ、セリオ。星があんなに……」
僕がそう感嘆の声を上げて、後ろに立っているであろうセリオを振り返った時
だった。――『それ』が見えたのは。
「………セリオ?」
それはとても淡く、仄(ほの)かな光だった。
セリオの二つの瞳がある闇の中から、
蛍火のような仄かな青い光の粒が、
とめどなく…溢れ出ていた。
その蛍光塗料を流したような青い雫は、
頬の形に沿って流れ落ち、
ポツポツ、ポツポツ、と、
地面に落ちては跡形もなく消えていった…。
「セ……」
パッ
その時いきなり、光の世界が復活した。
「うっ……」
あまりの眩しさに僕は両手で目を覆って、光を防いだ。
そして、光に目を慣らし、どうにかこうにか瞼を開いた時には、光が消える前
と何ら変わらぬセリオの姿があるだけだった。
「……セリオ……」
僕はゆっくりと彼女に近づいてゆく。
そしてその頬に手を触れようとした瞬間、僕の腕は彼女の手によってパシッと
掴まれてしまった。
「――祐介さん。お願いがあります」
「……なに?」
「――私にもう一度、歌わせてもらえないでしょうか?」
「……え、あの歌のこと?」
「――はい。ぜひ」
「……うん。別にいいけど……」
僕がそう肯くと、セリオは一つ…深くお辞儀をし、軽く両手を前で合わせて、
歌い出した。
「――この……を……げてみ……」
「………………」
…………………。
綺麗だった。
歌声だけじゃない。めまぐるしく回るメリーゴーランドの光を背に受け歌う彼
女の姿は、美しく、幻想的で、儚い輝きを発していた。
「――白い……を……せ…えば」
澄んだ歌声。
綺麗に、たんたんと、それでいて切なさを醸し出すその歌声は、まさしくあの
日聴いたオルゴールの音色だった。
「――…はあ……と…きる――」
パチパチパチ
僕は無意識のうちに拍手をしていた。
意識はいまだ惚けたままだ。
「――……どうでしたでしょうか?」
「………とっても……上手だったよ……」
僕は余りある感動を込めて、そう彼女に賛辞を送った。
「――……ありがとうございます」
セリオはぎゅっと胸の辺りを掴んで、俯きながら言った。
その仕種は、まるで恥ずかしがっているようにも、…泣いているようにも見て
取れた……。
僕たちは遊園地を出て、交通量の多い大通りに来ていた。
もっともこの時間帯ではその量は少ないが、タクシーの1台や2台は拾えそう
だ。
「今日は楽しかったね」
「――……はい」
僕はちょうど走ってきた空車タクシーを止め、セリオと別れることにした。
「それじゃ、セリオ。またね」
「――………」
セリオは僕を見つめたまま、返事を返さない。
「? どうかしたの?」
「――……あの、祐介さん」
「ん、なに?」
僕は笑顔で彼女の言葉を待った。
「――………いえ……さようなら、祐介さん」
「…? うん、じゃあね、セリオ」
バタン
ドアが閉じて、タクシーが走り出す。
僕は軽く手を振りながら、その後ろ姿を見送った。
「……さぁてと、僕も帰るか」
僕は家路へと足を進めた。
……それにしても、今日のセリオの歌は本当にうまかったな。
3日前までただの再生テープの音にしか聞こえなかったのに、今夜のは何と言
おうか『感情』がこもっていたような気がした。
そう。あの歌に必要不可欠な――押え込まれた悲しみ――という感情が……。
…………。
……………。
……………ピタ。
足が止まった。
……いま、なんて言った?
――押え込まれた悲しみ――
『この歌は哀しい記憶を持つ人以外には、本当に歌いこなすことはできないん
じゃないか?』
――光の涙――
『…長瀬ちゃん、ありがとう』
――別れの口付け――
ダッ!
僕はすぐさま大通りに戻った!
タクシーを止めようとして、慌てて財布を探るが……。
「!? くそぅ、何でこんな時に!」
補充を忘れた僕の財布の中には、もはや小銭しか残っていなかった。
こんな時間じゃバスは当然終わってる!
焦る僕の頭の中を駆け巡る、『落ち着け』『考え過ぎだ』という言葉と、悲し
い記憶。瑠璃子さんを失った時の、諦め、絶望感。
――今行かなきゃ、きっとまた後悔するっ!
僕は暗い闇の中へと駆け出した。